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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連の世界遺産と長崎・天草観光

潜伏キリシタン関連の世界遺産

2018年7月、長崎と天草潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録され、話題になっています。
禁教下で約250年も独自の信仰を守ったのは、まさに奇跡といえます。
世界遺産登録までには紆余曲折があり、初め「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として申請し、失敗した経緯があります。
その後、イコモスの助言に従い、潜伏キリシタンの歴史にフォーカスした結果、成功へ至ったもので、世界遺産登録を指南するモデルケースとなりそうです。
世界遺産は大浦天主堂や原城跡はじめ、潜伏キリシタンゆかりの集落の数々も登録されています。日本的な集落の中に、教会堂がぽつんと建っている様は、とてもエキゾチックです。



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潜伏キリシタン関連遺産の場所

長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産は、12の場所が一括して世界遺産に登録されたものです。
構成資産は長崎県が中心で、大浦天主堂、原城跡、外海(大野集落・出津集落)も入っています。

潜伏キリシタンは迫害を逃れるため、離島へ集団移住した歴史があります。平戸の聖地(春日集落・中江ノ島)、野崎島の集落跡、頭ヶ島の集落、奈留島の江上集落、久賀島の集落、黒島など不便な場所にあるのは、こうした経緯があってのことなのです。
▼原城跡の天草四郎像▼
▼原城跡▼

潜伏キリシタンに関連する場所として、天草の崎津集落も世界遺産に登録されています。天草は天草四郎ゆかりの地であり、キリシタン迫害の跡をしのぶに、ふさわしい場所とも言えるでしょう。

長崎の歴史

長崎は、戦国武将初のキリシタン大名・大村純忠の時代に発展が始まった歴史があります。1571年に口ノ浦から貿易の拠点を移し、1580年にイエズス会に寄進、1582年には天正遣欧使節が出発した場所でもあります。
長崎は1588年に豊臣秀吉の直轄地となってから、歴史が大きく動き出したといえます。バテレン追放令により、二十六聖人の殉教、1641年にオランダ商館が平戸から出島へ移転し鎖国体制が完成し、鎖国中は独自の歴史を歩んだことは周知の通りです。
長崎は幕末期に、坂本龍馬らが活躍した歴史もあります。明治以降、キリスト教が解禁されたのですが、1945年8月9日の原爆投下で壊滅的な被害を受けたのです。戦後は、平和都市としての歴史を歩み、今にいたっています。

天草の歴史

天草が、歴史の表舞台に現れたのは、16世紀の戦国末期にキリスト教が伝来されてからのことです。1566年にルイス・アルメイダ修道士が伝道を開始、一時は信者数15000名以上、30あまりの教会堂が建っていたといいます。
1591年には宣教師養成機関「天草コレジオ」が開校し、天正遣欧使節の少年4人もここの卒業生です。活版印刷術も伝えられ、『伊曾保物語』はじめ天草本が続々出版、歴史的に当時の日本で最先端の頭脳・技術が集まっていたのです。
天草の歴史での転換点は1937年、天草・島原の乱が起きてからのことで、乱鎮圧後は潜伏キリシタンとして地下に潜ったのです。明治以降、キリスト教が解禁され、現在もキリスト教徒の割合が高い地域となっています。



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天草四郎とは

天草・島原の乱の総大将として超有名な天草四郎は、1621年(1623年とも)生まれと伝えられています。1621年生まれ説をとると、1638年4月に討ち死にしたので享年17歳となり、ジャンヌ・ダルクよりも若くして亡くなったことになります。

天草四郎は、小西行長の遺臣・益田好次の子として、生まれは大矢野島です。本名は益田四郎時貞で、一般には天草四郎時貞として知られています。
天草・島原の乱のハイライトは原城籠城戦で、37000人が乱に参加したといいます。3ヶ月の籠城戦の末、ついに幕府軍の手に落ち、天草四郎は陣佐左衛門に打ち取られ、その首は最初、原城三の丸の大手門前に、ついで長崎・出島の正面入り口に晒し首になり以降、潜伏キリシタンの苦難の時代が続いたのです。
▼天草四郎が座ったとされる岩▼

隠れキリシタンと潜伏キリシタン

2018年、長崎と天草の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産に登録されたのですが、学校ではたしか「隠れキリシタン」と習ったはず…「潜伏」ってなに?
そう思った人は少なくないはずですが、実は「隠れキリシタン」と「潜伏キリシタン」とは同じではありません。
まず「隠れキリシタン」ですが、こちらは、江戸時代の幕府によるキリスト教の弾圧時代、「キリスト教を捨てた」と偽装し、仏教を信仰しているふりをした信者のことです。彼らは仏教徒として振る舞いながら、観音像を聖母マリアにみたてたりして信仰を続けました。
そして、明治時代になり、キリスト教が認められてからは、多くの人が晴れてもともとのカトリックに戻りました。この信者たちは200年以上ものあいだ、仏教徒のふりをしながら「潜伏」し、そして再び「表へ出た」わけです。キリスト教が解禁されたわけですから、もはや「隠れる」必要はなくなったのです。
ただ、その時、カトリックに戻らず、江戸時代の特殊な信仰形態をそのまま続ける人たちもいました。その信者たち、いわば「潜伏したままで戻ってこない」状態の人たちをカタカナで(学術的には)「カクレキリシタン」と呼ぶことがあります。

「カクレキリシタン」とは、キリシタン時代にキリスト教に改宗した者の子孫であり、1873年に禁教令が解かれて信仰の自由が認められた後もカトリックとは一線を画し、潜伏時代より伝承されてきた信仰形態を組織下にあって維持し続けている人々を指す。オラショや儀礼などに多分にキリシタン的要素を留めているが、長年月にわたる指導者不在のもと、日本の民俗信仰と深く結びつき、重層信仰、祖先崇拝、現世利益、儀礼主義的傾向を強く示すものである。
— 宮崎賢太郎、『カクレキリシタン』

整理すると「隠れキリシタン」と称された人たちから「カクレキリシタン」と称される人たちをのぞいた分類が「潜伏キリシタン」ということになります。

「隠れキリシタン」「潜伏キリシタン」「カクレキリシタン」…いろいろ意味があるものですね。

ところで、世界遺産として登録されるまえ、当初「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として世界遺産に申請し、却下された経緯があります。それを、イコモスの助言を受け、修正申請して今度は成功したのですそして、そこでは隠れキリシタンでなく、潜伏キリシタンとしたのがミソです。つまり、「潜伏期間の後、カトリックにまた戻ってきた信者たち」にフォーカスしたわけです。



天草観光のおすすめスポット

天草観光は、ドライブは一番のおすすめです。天草五橋(パールライン)とは島々をめぐる美景が人気で、日本三大松島のひとつに入っているくらいです。

観光では、潜伏キリシタンのゆかりの地めぐりも、世界遺産登録後はとくにトレンドとなっています。おすすめの崎津教会・大江教会はじめ、天草ロザリオ館、天草四郎メモリアルホールはファンにはとくにおすすめの観光スポットです。
天草の沖には、イルカの定住海域があり、五和町の通詞島沖合の「イルカウォッチング」はおすすめ度大です。海のかなたに沈む夕日は息を呑む美しさで、サンセットクルーズは人気があり、大橋と夕日を同時に堪能できるコースもあります。

長崎観光のポイント

長崎は、洋館や石畳の坂道などでエキゾチックな観光地として人気で、浦上で平和の尊さを実感することもできます。市内は、地元ではチンチン電車と呼ばれる路面電車の路線がめぐらされていて、路面電車を使って主な観光スポットへ楽々アクセスできます。
長崎は、グラバー邸やオランダ坂で有名な、東山手・南山手も超定番の観光スポットです。平成に入って、出島の復元が進められ、出島和蘭商館跡も人気急上昇中です。

長崎は昔から夜景で超有名ですが最近、香港・モナコと並んで、世界新三大夜景に指定され、観光資源としての価値がさらに高まっています。最近では、世界遺産効果もあって、軍艦島上陸ツアーも人気があります。



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